夜が更けるまで無駄話をしよう

関西の大家族を愛して止まない

一緒に笑い泣くことが生きること

 

 

 

 

ミュージカル「リューン〜風の魔法と滅びの剣〜」

 

 

 

 

 

主演の彼等が2人のリューンとして生き抜いた様を、私が見て感じたものをここに記しておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

⚠︎以下は演劇に関して専門知識も何も無い若造の感想及び想像です。一個人の一解釈であることをご理解頂きますようお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一幕

 

 

 

白いローブをまとった人々が半円形に並び、異国の言葉のような、暗号のようなフレーズが奏でられる『調和のシンフォニー』。

 

2つの大きな月のもとに現れたのはリューン・フロー、リューン・ダイ、そしてダイス。

「宇宙の中の1つ1つが調和を成している」というダイスに対して、「だったらどうしてこの世は戦だらけなのか?」と問うダイ。

 

 

 

フローとダイはともに15歳です。リューンの世界での年齢を我々が生きる現実世界と同じものさしであるとするならば、現代日本において彼等は中学3年生から高校1年生に該当します。しかし、「通過の儀」と呼ばれる、おそらく成人や元服等に近いものと考えられる儀式を半年後に控えており、後に出てくるエルカが「いつまでも子供扱いしないで!」と発言していることから、既にひとりの「大人」としてカウントされる年代なのであると考えられます。

とするならば、ダイの発言は私には些か幼く感じられました。不条理な現実に対してただ「なんで!?」と嘆き怒りをぶつけるほど、彼は無力では無いはずです。実際ダイは、自警団団長としてルトフの里を守っているマーナムのもとで剣術の修行をしています。魔法なんて無い、魔法道具だって大したこともないと主張し、自分の努力で身につけられる力を信じている彼はとてもリアリストなのかもしれません。

しかし、私にはダイがアイディアリストの一面も持ち合わせているようにみえます。彼の考える「調和」とはきっと「ぶつかり合いが無く、うまくまとまっている」ということ。即ち、争いのない平和な世を示しているのだと思います。ルトフの里がまさにそうです。中立的な立場で争いには加わらない調和の里。しかし「調和」という言葉は「全体もしくは両者が釣り合っている」と解釈することもできます。一方が+に傾いた時、他方が同じだけ-に傾くことで偏りが相殺され均衡を保つことができる。これもまた「調和」のとれた状態です。ある考えを持つものがいればその逆の思想を持つ者もいる。集団としてはバランスが取れていますが、そこに亀裂が生まれるのは必定とも思えます。ダイの考える調和は理想です。しかし、彼が現在身を置いているのはとてもフラットな安定した小さな調和の中。皆が±0のルトフの里です。一歩外に出ればまた違った現実がそこにはある。そのことをダイが知らないはずありません。そんな現実と乖離した理想を心のうちに描く彼だからこそ、その理想を手繰り寄せるために「武力」という現実的な力を持ちたいと思ったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

すり抜けていった風にフローは眉を顰める。

「風が変だ。風が何か訴えている。何かはわからないけど...。」というフローに、「風の声がわかるの!?」と驚くフローリア。

フローが聞いたのは『リューン』と呼ぶ声。

ダイには何も聞こえない。

 

 

 

フローとダイは一貫して対照的に描かれています。

魔法を信じていないダイと、信じるフロー。

「風の声」を聞くことができるのが魔法なのか何なのか定かではありませんが、少なくとも誰にでも聞こえるわけではないようですし、ダイには聞こえていない様子をみるとリューンの里の者たちなら皆聞こえるというわけでもなさそうです。もし仮にフローに何か特殊な能力があったとして、それを使うことができるのはやはり彼が魔法を信じているからなんだろうなと私は考えます。

魔法を信じないダイは一見リアリストのようだと先述しました。では「魔法は存在するし、魔法が使えれば調和が戻る!」と考えているフローは夢想家なのでしょうか?結論から言えば、答えは否です。剣や銃を持っても何も生まれない、むしろ誰かが何かを失うまで終わらない。フローはそれを身をもって知っていて、何より恐れています。魔法さえあれば調和が保てる、剣を取らなくても平和が訪れる。そんな考えはある種現実逃避のようにも感じますが、彼の優しさと強い意志があらわれていると思います。

フローは魔法を信じていながら、魔術を学ぼうとするのではなく舞台に立っている。きっとどこかの誰かが使える魔法で調和を…という途方もなく不確実な方法より、今自分にできることをしようというとても地に足のついた考えをしています。武力に武力で応えてもなにも解決しない。喜怒哀楽を共有して心を通わすことは魔法にも匹敵する力で調和をもたらすはずだ、フローはそう信じているのではないでしょうか。きっと、フローにとっての魔法とは希望です。魔法という見えない力を信じ、何より人間の心が持つ力を信じている。だから彼は舞台芸人になったのだと思います。

 

1つここで引っ掛かるのは、フローリアの言葉。フローリアは「風の声」を知っている様子です。ダイは何も知らないようですし、フローもそれが「風の声」であることは、この時彼女に言われて初めて知ったような雰囲気でした。

戦火の跡から2人のリューンを拾ってきたルトフの里の長、フローリア。もしかすると彼女も「風の声」が聞こえるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

ダイスと別れた2人は、彼の言った「他国からの侵略」という言葉に自らの生まれた里を想う。

ダイは「あの時もっと俺に力があれば...」と顔を歪ませ、フローは軍靴の音を恐れるように両手で耳を塞ぐ。

「僕らの里はもうここだ。」とダイ。

2人のリューンが自らに言い聞かせるように歌う『僕達の魔法』。

 

 

この時2人が思い出しているのは同じ10年前の新月戦争のことです。しかし2人の抱く感情は全くというほど違っていて、当時の自分の無力さを嘆き、今度こそは自分が…と憤るダイに対し、耳を塞ぎ、もがき苦しむフローの姿はまるでもう忘れたいと言っているようです。しかしながら、2人の願いはただ1つ、"世界が平和であって欲しい"それだけなのです。同じ願いのために2人はそれぞれ自分の持てる力で闘っています。何故なら「未来はまだ変えられるから」。

この場面で歌われる『僕達の魔法』では最後にフローの突き出した拳をダイが受け止め握りしめます。正直、この先の展開から考えると逆の方が良かったのではないかと初めは思いました。ダイが起こした行動を受けてフローも動き出し、ダイを救おうとします。ダイを受け止めるのはフローです。しかし、おそらくそれがイレギュラーだったのではないかと思います。いつも受け止めていたのはダイだった。耳を塞ぎうずくまるフローに「僕らの里はもうここだ」と言って聞かせたのはダイです。この後のシーンですが、不安げなフローに「大丈夫!」と笑ってみせるのもダイです。2人は「陰と陽」として描かれていると言われていますが、フローにとっては、全てを失った後共に生きてきたダイはまさに自分を受け止め包み込んでくれる太陽だった。だからフローの手をダイが掴んだのだと思います。

 

 

 

 

 

「本物の剣は人を殺す道具だよ。忘れないで。」

「大丈夫!俺にはお前がいる。もし俺が道を誤った時は、お前が俺を救ってくれる。そうだろ?」

「うん。約束する。この身を呈してでも。」

 

 

 

ここで全丈橋のオタクが泣きます。

「だぁいじょうぶ!!」と明るく笑い、「そうだろ?」と微笑む優しい声と表情。

それに応えるフローの温かくて力のこもった言葉。

お互いがお互いを真っ直ぐに見つめる瞳には大きな信頼と少しの揺らぎがうかがえます。まるでこれから起こることを案じているように。言ってしまえばこの台詞は盛大なフラグなわけですが、同時に2人の関係性を象徴する会話です。私は、2人にとってお互いはもう1人の自分とも言えるほどの存在なんだと見せつけられているような気持ちになりました。

フローがダイにかけた言葉は彼が常日頃思っていることなのでしょうが、きっとダイを想っているからこそ、剣を握ることを選んだ彼に敢えて発した言葉でもあると思います。ダイが剣を取れば、それに剣を持って応じるものが出てくる。ダイが人を殺めれば、彼を殺そうとする人も現れるかもしれない。何より、ダイに人を殺して欲しくない。フローはそんな事を思っているのではないかと思います。だからダイは「大丈夫」と答えた。いなくなったりしない、傷つける為ではなく自分とフロー達仲間を守るために剣を振るうんだと。何より、その心が揺らぎそうになった時はそばにいるフローが正しい道へ連れ戻してくれるだろうと確信を持っています。「俺にはお前がいる」そんな言葉、絶大な信頼を置いていなければ言えない言葉ではないでしょうか。そして極めつけはフローの「この身を呈してでも」です。このセリフについてはどうしても深掘りしたい事案があるのですがそれは一旦置いておきます。とにかく彼はいざとなったら己が身を犠牲にしてでもダイを守り抜くとそう言っているのです。もうくそデカ感情のぶつかり合いです。こんなことを言ってしまう2人だからずっと幸せに笑っていて欲しかった。この都合の良い解釈は、2人のリューンを演じているのが"彼ら"であり私がそのオタクであることに起因するというのは充分に自覚しています。しかしどうしても"彼ら"と重ねて見てしまう。もはや仕方ないと開き直っています。これ以上は不毛な話になってしまうので自粛します。丈橋よ永遠なれ。

 

 

 

 

 

フローリアの営む"3つのかまど亭"に現れたのは、ダイスの弟子になるためにナダージアからやってきたファンルンという若者。

彼は「ファランディーアの泉を研究したい」、「滅びの剣を掘り起こす」と言う。

滅びの剣が気にかかる様子のダイ。

 

 

 

ダイは「滅びの剣」という言葉を聞くと途端に笑顔が消え、温度の無い眼をします。ダイが「滅びの剣」に反応を示すのは単純に「剣」だからか、それとも伝説として伝わる剣をファンルン同様探していたのか、はたまた彼に流れる"血"がそうさせるのか。この時点では彼の真意がさっぱり分かりませんでした。里が焼かれた当時の己の無力さを嘆いている彼ですが、あくまでも彼が取った剣は"守るための剣"だと思っていました。明るくて陽気なダイが心の奥底に隠している闇にこの時は気が付けていなかったと後にわかることになります。

 

 

 

 

 

一角狼座の舞台『風の魔法使い』

 

遠い昔、ルトフの里は"ガンドラ"という大国であった。

民を愛し、民に愛されていたガンドラ王。しかしそこに1人の魔法使いが現れ、国民たちに様々な喜びや幸せをもたらしていく。ガンドラ王は嫉妬に狂い、自分の地位が脅かされることを恐れ、剣で魔法使いを殺してしまった。

「魔法使いを刺したその剣は、滅びの剣と化す。」

その剣は敵も味方も、女子供も皆殺しにし、全ての魔法使いを根絶やしにするまで止まらない。

滅びの剣に取り憑かれたガンドラ王のもとに歌うような呪文が響くと、現れたのは風の魔法使い。

風の魔法使いは滅びの剣を封印し、ガンドラ王に永遠の命という罰を与えた。

滅びの剣は花となって消えた。

 

 

 

滅びの剣を掘り起こしに来たというファンルンに対してフローとエルカが「ただの伝説なのにこういう人が後を絶たない」と話していた為、恐らくこの話はあくまで伝説であって史実ではないと伝わっているように思われます。まあ1000年以上前のことですからもう事実を知る人もいないのでしょう。

そしてこの劇中劇ではガンドラ王をダイ、ガンドラ王に殺されてしまう魔法使いをフローが演じています。この配役は、ミスリードと言って良いかは微妙ですが、1つの伏線だと思われます。思考を飛躍させた私は「やばい、フロー死ぬやつだこれ。」となりました。

 

 

 

 

 

舞台を終えた一座の皆が集っている宴の場に姿を見せないフローとダイ。

2人はエルカに呼ばれ、かつてファランディーアの泉があった場所に来ていた。

そこでエルカが取り出したのは3人が通過の儀で貰う予定の小さな箱。エルカの祖母曰く、この箱を2つの月がいずれも満月となる日の夜に泉跡で開けると魔法が使えるようになる、という。

フローの制止に耳を傾けず、箱を開けようとするダイとエルカ。

そこに現れたファンルンは、魔法の研究のために滅びの剣を探していた。

「魔法なんて無い」と噛み付くダイに、「魔法使いさえいれば、この世界に調和が戻る」と訴えるフロー。

3人が言い合っている側で、エルカは小箱の蓋が開いていることに気がつく。

箱の中には、フローが舞台のセリフで唱えたものと同じ呪文が入っていた。

『この呪文は3つの声で唱えるべし。』

フロー、ダイ、エルカの3人が声を揃えて呪文唱えるも、何も起こらない。

「おかしい。風が止まった。」とフローが呟いた刹那、ファランディーアの泉と一本の剣、滅びの剣が姿を現した。

その滅びの剣を、エルカが抜いてしまう。

黒い獣に取り憑かれたエルカは剣を振り翳し、ダイとファンルンがそれに応戦する。

丸腰でエルカの前に立ち塞がったのはフロー。

「エルカ!!落ち着いて。僕だよ...?」

そうしてフローが呪文を唱えると手から剣が滑り落ち、エルカは倒れ込む。

そこにフローリアとダイスが駆け込んできて騒然とする中、今度は村に火の手が上がってしまっていた。

ダイは滅びの剣を手に、村へ走り出す。

 

 

 

こうやっていつもエルカに2人は振り回されていたのかな。エルカとダイがはしゃぐとフローがそれを抑えていたのかな。そんな現実逃避をしたくなるほど物語は急に動き出します。

 

ダイは「魔法なんてない」と噛み付くわりに、呪文を唱える事に前のめりで「3人で言おう」と自ら提案しています。彼にも、「魔法があれば」という思いが心のどこかに僅かでもあるのではないかとも初めは思いましたが、むしろ逆のような気がします。言い伝えの通りに呪文を唱えても何も起こらなかった、やっぱり魔法なんて無いんだ、そう思いたかったのかなと感じました。もし本当に魔法があって調和が保たれていたなら10年前の戦争は起こらなかったはず、家族は今も元気だったはず。しかし実際、里は焼かれ家族は殺され、彼は全てを失いかけた。だから魔法なんて無い。そう自分に言い聞かせ続けなければ、きっとダイはこのあまりにも過酷な運命を受け入れることなど到底できなかったのです。

 

黒い獣に飲まれてしまったエルカに対し、ダイとファンルンは剣を取ります。これが普通の対応です。しかしフローは身ひとつでエルカの前に飛び出しました。いくら幼なじみの女の子といえど、剣を抜いた途端に正気を失いダイやファンルンに斬りかかった人間の前に丸腰で立てるでしょうか。しかも3年間軍隊にいたというファンルンが「化け物」と称するほどなのにも関わらずです。私なら無理です。きっとそれこそがフローの強さ、人を信じる力なのだと思います。彼女が何故そんな状態になってしまったのかは分からないけれど、それでも彼女は間違いなくエルカだから、自分の信じるエルカだから大丈夫だと、ただ救いたい一心で彼女の前に立ったのでしょう。そして優しく諭すように声をかけた。人の心を動かすことができるのは人だと知っている彼だからできる行動です。唱えた呪文はエルカを助けたいと願うフローの祈りの唄。

その声が届き、エルカは剣を離すことが出来ましたが、ダイは倒れ込んだエルカのことなど眼中に無いかのように、何かに取り憑かれたような顔で剣を見つめていました。里を襲う火を目にし、滅びの剣を手に走るダイの頭には10年前の戦争の記憶が蘇っていたことと思います。滅びの剣であることを忘れてただ目の前にあった剣を武器として手に取ったのか、分かっていて敢えて取ったのか、どちらにしても冷静な頭ではなかったことは間違いありません。ただ、もうあんな思いをするのはごめんだという一心で、仲間を、里を守りたいという気持ちだけで彼は走ったのだと思います。自分はもう子供じゃ無い。あの時のように無力ではない。きっと、何も出来なかった自分を今でも許すことができないダイのリベンジだったのだと思います。

 

極めて余談ですが、「落ち着いて。僕だよ。リューン・フローだよ。」のフローがあまりにもリアコ過ぎて危うくこじらせるところでした。この後もちょいちょいリアコフローが出現するので非常に危険です。

 

 

 

 

 

村を警護していたマーナムが対峙しているのはダナトリア。火を放ったのはカダ王国だった。

ダナトリアはマーナムを一蹴し、一座の人々やアリーシャのもとに迫っていた。

滅びの剣を探すダナトリアのもとに飛び込んできたダイ。

「滅びの剣ならここにある。」

「フロー、覚えているだろ?こいつらが10年前、俺たちの故郷を、家族を殺したんだ!」

そう言うとダイは滅びの剣を抜いてしまう。

そしてキャスヴィルを刺し、そのまま一座の人々のことも斬り殺した。

「違う。俺じゃない。」と何度も繰り返しながら。

フローはダイを止めようと呪文を唱えた。

「リューン・フロー、約束したよな?俺がもし...。」

一瞬自我を取り戻したかに見えたダイは、そう言い残すと剣を持ったままどこかへ消えてしまう。

 

 

 

私が出した解は、「ダイは密かに復讐を心に決めていた」という結論です。もしかするとダイ本人もこれまで無自覚だったのかもしれません。けれど、彼が奥底にしまっていた心の闇のどこかにそんな決意がずっと前からあったのだろうという推察です。『血塗られた記憶』で歌われる2人の生々しい記憶。目の前で家族を殺され、亡骸をその手で土に埋めた幼少期の2人。絶望するには充分過ぎるほどです。家族のために何もできなかったという後悔を抱えるダイの心に復讐心が芽生えたとしても、誰がそれを責められるでしょうか。無力な自分にうんざりした彼は剣術を学んだ。守るため、そして殺すために。魔法で調和が保たれるということは、里を焼いた人間達はその平和の中で生き続けるということ。そんな現実は許せなかった。だから魔法なんてない方が良かった。仇討ちの大義名分を奪われるわけにはいかなかった。ただ、彼が斬りたかったのはあくまで仇だけで、全ての人を皆殺しにして世界を壊したかったなどというわけでは無いことは自明です。そんな厨二みたいなことをダイは考えていません。まして、同じ里に生きる仲間のことなど絶対に斬りたくなかった。間違いなく、彼らはダイにとって守るべき人たちだったはずです。それでも滅びの剣を鞘から抜いてしまったダイには己の手を止める術が無かったのです。笑いながら眼前の人間を容赦なく斬り殺す姿はまさに狂気。そんなダイを止めに入ったのはエルカの時同様フローでした。武器も防具も無いまま、フローは剣を振り回すダイの前に立ったのです。ダイを助けるために。対するダイは助けてくれと言わんばかりに、縋るような眼差しでフローを見つめます。自分を助けてくれるのはフローしかいない。フローなら必ず自分を助けてくれる。ダイとフローはまさに剣と鞘なのです。

2人が交わした約束は信頼の証でした。しかし、ダイが本当に道を誤ってしまったこの時からその約束は重い鎖に変わります。走り去っていくダイの背中をフローはどんな気持ちで見ていたのか、想像しても彼の真意には辿り着けそうにありません。

 

 

 

ダイがいなくなった後、フローは「ダイを助ける方法はないのか」とダイスに訊ねる。

しかし、滅びの剣は一度使ってしまったら最後、死ぬまでその目に映った人々を殺し続けるしかないという。

それを聞いたフローは、自分がダイを殺すと決意する。

「約束したんだ、リューン・ダイと。必ず...。」

 

 

 

必ず、救うと。たとえ差し違えたとしても、必ず闇の中から救い出すと。フローの決意は重く、悲しく、苦しく、あまりにも救いようがありません。ただ、やはり彼にしかできないことであると思います。ダイを救うためにダイを殺すなど、きっとフロー以外の誰にも遂げることはできないでしょう。共に戦火を生き延び、フローリアに拾われ、ルトフの里で新しい家族や仲間ができても2人はずっと2人で生きてきたのだと実感させられます。そんな己の半身を救うべく、魔法を信じ人を信じるフローが物理でダイを殺すという方法を選択した。魔法はフローの"希望"できっと間違いなくそこにあるもの。ただその不確かなものは今現在自分の手の中にはない。だから究極を迫られたこの場面では自分が手にできる剣を信じた。ダイを助けるために希望に蓋をした。自己を顧みない固い決意という鎧を被ったフローはそこに内包された危うさに気がつかないまま旅立ってしまうのです。

 

ここでフローとダイの会話がリフレインされるのですが、この時フローがダイに言った「この身を呈してでも。」という台詞は、再演のパンフレットに記載されたことで初めてこの字が使われていると判明しました。これが先述した"深掘りしたい事案"です。「身をテイして」というときは「挺」を使うのが一般的ではないかと思います。なぜこの「呈」を使ったのでしょうか。「呈する」の辞書的な意味は「差し出す。贈る。」もしくは「表す。示す。」等です。一方で「挺する」には「他に先んじて進む。」や「自ら進んで差し出す。」といった意味があり、ほとんどの場合「身を挺する」という言葉で使用されます。フローが自己犠牲をしてでも、という思いを持っていたならならやはり「挺する」の方がしっくりくる気がします。この疑問が晴れるのは物語の終わり、彼らの冒険が終わる頃になります。

 

 

 

 

 

ダイスから風を起こす魔法道具を授かり、フローはエルカ、ファンルンと共に旅立つ。

 

3人を見送ったあと、「風の魔法使いを探しに自分も旅に出る」と言うダイス。

彼にフローリアが返した言葉は「生きていますよ。貴方が生きているんだから、ガンドラ王。」

風が吹き、フローリアは「風が歌っている気がする。」と呟いた。

 

フロー、エルカ、ファンルンの3人は船に乗り海を渡っていた。

フローの奏でる笛が風を起こし、船は進んでいく。

 

 

 

ガンドラ王お前かよ!とか、フローリアやっぱ風の声聞こえるん?とか、つっこみどころは多々ありますが、フローの笛の音で全て相殺されます。オールキャストで歌われる『風の舟』はまさに圧巻で、涙ってこんなに出る?ってくらい号泣していたため、幕間に隣の席で観劇されていたご婦人に心配されました。(いら情)

さて、このフローリアとダイス。2人はどういった関係なのでしょうか。風の声が聞こえているような様子を見せており、ダイスがガンドラ王であることを恐らく唯一知っているフローリア。対して、滅びの剣を生み出した張本人であり、その罪から死ぬことができず1000年以上も生き続けているダイス。戦争孤児となった2人のリューンを救い育てたフローリアと、自国の民を皆殺しにしたダイス。ダイを救うために旅に出たフローと、殺戮の中に身を置いたままのダイ。フローリアとダイス、フローとダイ。

ぞわぞわしてきました。

 

船首に立つフローはどこか遠くを見つめています。風の中にダイの声を探して、時折その声に反応を示す姿は今にもふっと消えてしまいそうで、でもどこか強くたくましい。弱くて強い、強くて弱い、そんなフローの人間性が表れているような気がしました。どうか、どうか彼らの旅の行く末が幸せでありますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、ようやく第一幕終了です。

 

想定の5億倍長い。

 

本当は全編通して1個のブログに収めるつもりだったんですが、しぬほど長いので2つに分けます。